2012年4月30日月曜日

ボーカロイドの歌詞置場 歌詞


初めての恋が終わる時<墨英語ver.>
作詞・作曲:ryo
訳詞:墨

My first kiss ever tasted bitter with my tears
A love like one of those I've seen in movies
And as if it were to know
That moment, the departing bell went off

the cold winter wind grazes
across my cheeks
With my own breath I try to keep my hands warm
The town is bright with Christmas lights
As if it were under a spell
See all the bare trees sparkle

somehow I just couldn't tell you
This thing that I feel
I hid it deep inside
I decided that this is what I wanted
so I'll be ok
I will never look back

Thank you and Goodbye
My sad and lonely one-way crush
If I stop now everything will come flashing back
so I'll say

2012年4月28日土曜日


幸せになっていいんだって!!

 いきなりですが、私は自分が幸せになると誰かが不幸になる〜と、ずっと思いこんでいました。誰かって?やっぱり母なんですね。自分は母以上に幸せになってはいけない。
 苦労して戦後、山の中の一軒家で愚痴をこぼせる相手もいなくて、苦労を怒りに置き換えて一人で頑張って肉体労働に耐えてきた母以上に 、幸せになっていいなんて娘としてはどうしても思えなかったのです。母はいつも怒ってばかりでした・・・。

 幼稚園の頃叔母が、黒い足踏みミシンを使おうと、台からクルッとまわして出そうとした時に台の縁に手をかけていた私の人差し指の生爪が一枚ペロッと剥がれて大泣きした時も、猟犬に噛まれた時も、釘を踏んづけた時も、いつもおまえが悪いからだ!!と責められていました。母自身もいつも自分を責める人でした。腎臓を悪くして入院した時も風邪を引いた時も、いつも自分が悪いんだと責めていました。父にもいつもそうでした。(男性不信はこの時からか?)今思えば更年期とも重なって辛かっただろうとも思いますが、責めたり怒ったりする事で何とかバランスをとっていたのだろうと思いますが、子供の私 には分かりませんでした。子供ながらに、いつも不安だった事、寂しかった事、何とか役に立ちたいと思いながらも、子供の私には出来ない事が多くお風呂に一緒に入った時赤く腫れた母の肩を見て、こんなになっているのに何もして上げられないと泣いて自分を責めた記憶があります。

でも、最近やっとそういう思いを、いつまでも引きずっているのも嫌だなあ〜と思える様になって来ました。〜自分と同じ思いをさせてはいけない〜と、結婚もしない子供も産まないと小さい時に私は間違った信念を持って貫いてしまいました。

 子供が痛みで泣き叫んでいるのを聞いたときお母さんはどんな思いだっただろうね、と言われて、やっと目が醒めた思いでした。母はいつも一生懸命でした。それでも自分を責めていました。そ� �な姿を見るのは子供ながらに辛いものでした。だから子育てに毎日一生懸命のお母さん!!自分の事を責めなくていいですよ。いっぱい褒めてあげて下さいね。誰かに褒めて欲しくなったらいつでも和く輪く舎に来て下さいね。お待ちしています。

 〜ところで何で幸せになっていっていいんだって思えたかって? それは、みんなが 分かれ道のワークをしてくれたからです。どうしても幸せになる道を選ばないっと頑張っていた私に、みんなは辛抱強く付きあってくれました。私の中では、「お先に、どうぞどうぞ幸せになって下さい。私はいいですから」と道を脇に除けている、という感じだったのですが 、 〜自分が幸せになると、他の人も幸せになるんだよ〜 という言葉を聞いてビックリしました。エーッ!!そうなんだ〜それなら私も幸せになってもいいのかな?と思いつつまだ渋っていたら、阿部先生がハタキを取り出して、もしまだ母の役に立てなかった〜という罪悪感を感じているとしたら、それを肩に背負いつつ幸せになる道を歩いていくんだ!!と後ろからハタキを肩に乗せて歩く様に促されました。その時は、幸せになる道の方に歩き出したのですが肩に乗せられたハタキの重かった事。それを言ったら人生とは、そういう重いものだと言われました。

 〜幸せになる道なんてやっぱり私も選べないわ〜という方がいらっしゃったら、和く輪く舎に来てくださいね。みんなでお待ちしています。



何とかする!

 先日、もう出かける時間なのに、何故かいつまでもテレビをつけたまま、グズグズしている自分がいて、何やっているんだろう?と思っていたら、テレビに突然スタントマンの人達が何人も出て来て、狭いスタジオの中で見事な乱闘シーンを演じていました。オー、何だこの人たちは?とその動きにプロを感じて見ていたら、クイズ番組で「今までに、どんな到底無理!と思われるスタントの依頼がありましたか?」という質問に対して、一人の人が滝壷に落ちるシーンの依頼を受けて、「滝壷の下がどれ位あるのか分らないのに飛べない」と断ったら、先輩がその仕事を引き受けていました。

 その人はどんな仕事も「何とかする!」と言っていたので、「自分 を?」という質問に対して、「相手を!」と言っていました。その答えに会場からは、エーッとかヘエーとか驚きの声が聞こえていました。

 私も最初そんな事していいのか?と思いましたが、日頃からお願いしたり、やっている事かーと思い直しました。むしろ、相手とも自分とも交渉したり折り合いをつけたりして、出来ないと断るのでなく、「何とかしよう!」とするその強さに惹かれました。ああ!この事だったのか、と納得して早々に家を出ました。

 〜どうせ私は出来ないんだ〜という諦めの根強い私の中にも、「何とかする!」という方向にエネルギーを向ければいいのだ。その力を信頼すればいいのだ。諦めてしまいそうになるけれど誰の中にもそのエネルギーはあるのだと感じました。出来てない事にばかり� �がいきがちですが、みんな「何とかして」やって来ているんだと改めて感じました。

 やってもらったり、やってあげたりしながら・・・と言いながら、『和く輪く舎だより』の仕上げもまた、スタッフのみなさんにご面倒をかけました。お蔭様で何とかするというよりは、何とかして頂いたという感じです。この度も本当にありがとうございました。



袋小路

 ここ数ヶ月間、袋小路に入ってしまっています。

 自分に対して疑問だらけで、今ひとつ自信持てないし、将来どうなるかも不安です。自分のことだけじゃなくて、世の中に対しても疑問だらけで、不信感や絶望感を感じることが多くなってます。考えすぎるのがよくないんだろうか、と思ってみても今の世の中どう考えても楽観的にはなれない気分です。「絶望感」と書きましたが、それでも「悲観的になろうが今ちゃんと見据えておかなくてはいけないことがあるんだ、いったい自分には何ができるんだろうか」と真面目に考えてみたりもしています。しかし、今のところすっきりした答えが出ません。そこでさらに将来不安になります。また、世の中のことについて� �ちゃんと見据えなくては」と思っているくせに、一番身近な自分のことはちゃんと見据えずに見たくないものは見ないようにしているところもあって、本当に自分って困ったものです。

 さて、ある夕方、とある仕事先でいろんな残務処理を一人でしていたとき、本当になんの脈略もなく、なんでそんなこと考え始めたのか自分でもわからないのですが、十数年前、とある学校に通うために住んでいた四国の松山での「家から学校までの通学路の道筋」を思い出せなくなっていることに気付き、頭の中で探りはじめていました。

 当時、家から学校まで自転車で30分くらいかけて通っていましたが、広い道路を通っていくと大回りになってしまうので、入学から何ヶ月もかけて裏道を徹底研究して「この道が一番早い!」とい� ��のを見つけていました。その裏道というのは本当に自転車の幅ぎりぎりの塀と塀の間をすり抜けていくところや、ちょっとうっかりすると横の溝に落ちてしまいそうな狭い道もありました。なぜか犬を路上で何匹も放し飼いにしている家があって、学校帰りに街中でハンバーガーなどを買って帰ると、やっぱり臭いでわかるみたいでその犬が1〜2匹猛烈に追いかけてくるので、必死で逃げなくてはいけないというポイントもありました。

 そういう断片的にあんなところがあったなーというのは思い出すのですが、しかし、家を出てから順にどう通ってどんな景色があって学校に到着していたのか、その30分の行程を思い出そうとすると、あまりに複雑すぎてどうしても途中で道がわからなくなってしまうのでした。半分くらい� ��ところで、この後どうだったかなあ、あーでもないこーでもない、と思い出そうとがんばり続けているとき、ふと「あの時の自分はどんな気分や思いを抱えて通学路を走っていたのかなあ」と急に思い起こし始め、その途端、不意に体が緩んで涙があふれてきました。

 なんだかその「学校に通学中の自分」が自分はとても好きなのです。そして、今の自分はそのときの自分より間違いなく成長しているということも実感できて、なんだか安心できるのです。未来の自分もきっと今より成長できているよ、という希望も湧いてきました。はー、なるほどなー、と少し味わってみました。

 その後まもなく「でも今の自分より松山に住んでいた頃の自分の方が、すごいこともあるな」と思い至りました。1年間学校に通った後、僕 は自営でピアノ教室を始めましたが、今思えばあんなことよくできたなーと思ってしまいます。昔の自分すごいです。今の自分ちょっと困ってしまいました。しかし、未来の自分が今の自分を見たときも、同じように昔の自分はすごいって思うかもしれません。

 これはそもそも、自分のこととはいえ「比べよう」っていうのが間違っているのかもしれませんね。昔の自分を認めてあげるっていう感じだと、暖かい気持ちになります。

 でも、さらに「ずっと変わっていない自分」もあるよなー、というのも感じました。例えば冗談のセンスは幼稚園のころから(ひょっとしたら赤ちゃんの頃から!)ずっと変わっていないような気がします。そして自分の冗談のセンスはもちろん好きです。「しかし、最近なにか面白い会心の� �談を言っただろうか?」「思い浮かばない・・・!」

 ということで、「今の自分」と「昔の自分」と「未来の自分」と「変わらない自分」が出てきてしまって、よく整理がつかなくなってしまい、また新たな袋小路に入ってしまうのでした・・・。

 でもこの文を書いていて、迷っている自分もなんだか好きになりました。



知っていたけど、気づいていたけど・・・

 『和く輪くだより』55号に、「三年ぐらい前に、母(イメージの)と正面から向き合うことが出来て(それまでは私が守ってあげなければならない母でした)、文句が言えてから、ずいぶん自分の中で縛っていたものがゆるんできた感じがありました。」というWさんの体験談がありましたが、私は、母が亡くなって20年、今もまだ向き合えていないという感じがしています。私もまた、私が母を守ってあげなければならないと思いこんでいたようでした。母とはとても距離が近く、また母に十分愛されていたと感じられるのですが、母に抱かれていることはイメージできなくて、私が母を抱いているのです。母を決してがっかりさせず、母の期待� ��りに応えていくこと、母を喜ばせることで母を支えていくこと、それが私の行動の基準になっていたように思います。

 つい最近、あるワークを体験する機会がありました。自分の感じがぴったりする位置に他の人に立ってもらって、起こることを待ってみました。私の場合は、最初斜め後ろに男性、少ししてから正面に女性に立ってもらいました。その時点では、その人達が私にとってどういう関係の人なのか私自身もわからないのですが、しばらくして、3人のダイナミックな動きがそれぞれに起こり始めた中で、その女性は母だということがわかってきました(男性は、ワークの終盤で夫であるような気がしました)。そしてその母親役の人との間が重いものでつながっているような気がして、それが母の望む道で、それを否� ��なしに選ばざるを得ない感じがしました。

 以前初めて分かれ道のワークをした時に、幼な子ではなく少し大きくなってからの私が、易き道を進んで行く気持ちは全くなくて、母が望んでいる道を自ら選ぶのですが、「行けばいいんでしょ、行けば!」と母の手を振り切って一人でどんどん行ってしまった事がありました。母の期待に応えて頑張り続けることはとてもたいへんだったのですが、それは母思いの私が望んでいたことでもあると思っていたので、私の中にそんな気持ちがあったのは全く意外でした。今回の母との間の重いものは、その時の感じに似たものがありました。

 そして、今回のワークではそのあと母が近づいてきて私を抱こうとするのですが、私は腰が引けた感じになりました。そして私の体にさしのべ られた母の手を丁重に母の方へ戻し、「もう私は自分の道を歩いていきます」と心の中で言いました。生まれて初めての事に、とても不慣れで居心地が悪く落ち着けない私は、子供のようにTシャツの裾をもじもじとさわっていました。そして、母に「笑って」とお願いしたあと、私から母にほほえみかけ手を振っているところでワークを終えました。

 ところがその後で、母親役の人が「ずっと守ってあげたいと思っていた。なかなか離れなかったので、もう大丈夫でしょう?という感じだった」というのを聞いて、「何言ってるの、そんなことみじんも感じさせてくれなかったじゃないの?ずっと私はお母さんのことが気がかりで離れられなかったのに・・・」と無性に腹が立って、涙がこみ上げてきました。

 それから三� �後、今度は運命に頭を下げるというワークをする機会に恵まれました。母親役に前に立ってもらい運命に敬意を表し、頭を下げるというワークですが、以前やった時には私にとって難しかったワークです。今回はさらに援助者が一人ついて頭を下げることを手伝ってもらう(押さえてもらう)ようにしたのですが、しっかりと押さえてもらうことで、「だって、(お母さんをずっと支えるのは)たいへんだったよう」という気持ちが急にこみ上げてきて涙がこぼれました。そしてその後頭がすんなり下げられたのです。

 三日前に急に怒りたくなったのも私の中にまだまだ聞いて欲しい言い分があったんだなあと気づきました。今まで気づいていなかった自分の中の気持ちに出会うことは、癒しの旅のとても大きな一歩になると思い� �す。でも振り返ると、私の場合「知ってるよー」「気づいてるよー」というだけで実際に言い分を聞いてあげるのがずいぶんお預けになっていたということに気がつきました。もっともっと聞いて欲しい言い分や文句が言い出せる時の来るのを待っていたように思います。知っていたはず、気づいていたはずのことが、気持ちの深いところで、腑に落ちたように感じられたときに、また一段、癒しのらせん階段を上っていくのですよね。

 母と正面から向き合えるようになること、それはきっと私にとって何かとても意味あることのような気がずっとしてきました。楽しみにしながら、もう少し自分の言い分に耳を傾けていこうと思います。



ダダをこねて甘えて、そして叱って欲しかった?

 昨年の秋頃から私の中の「幼い私」がすごく楽しいダダこねを始めました。

 今までずーっとダダこねワークになる度に「周りの人に迷惑をかけてしまうからだめ!」とか「怖い、怖い」と言う気持ちがあって、ワークであっても気持ちのいいダダこねが出来ませんでした。

 3年ぐらい前に、母(イメージの)と正面から向き合うことが出来て(それまでは私が守ってあげなければならない母でした)文句が言えてから、ずいぶん自分の中で縛っていたものがゆるんできた感じがありました。

 楽しいダダこねが出来るようになった発端は、「分かれ道のワーク」でした。初めて自分が子ども役になってみたとき、思いがけない自分� �出会いました。お母さん役の方が呼んでいる声を聞いただけで、うれしくてうれしくて涙が止まらなくなりました。「幼い私」は「もっと呼んで!もっと呼んで!」と母の呼ぶ声を求めていました。その優しい声を十分に味わい尽くしました。そうすると呼ばれただけでその愛が伝わってくるのです。「大好きよ。私のかわいい子ども。その全てを愛しているよ」と。

 さて「こっちへおいで」と言われた瞬間、こともあろうに座布団を蹴飛ばしていたのです。悪さをしようという気持ちなどどこにもありません。「お母さんが愛してくれるから安心して何でも出来る」という感じで、すっかり甘えていたのです。

 次に手をつないで歩くことになると、手をつないだだけで、楽しくて楽しくてピョンピョン飛び跳ねました。つ� ��いだ手からいっぱいの愛が伝わるのです。「こうして愛が伝わるんだなぁ」という実感がありました。そして「こっちへ行きましょう」と言われたとたん「やだ、やだ、あっちがいい」と言いたい放題ダダをこねました。「愛されているという自信」で甘えられたように思います。心の底から楽しい気持ちでした。

 きっと幼い子どもは大好きなお母さんの愛を感じれば感じるほど、安心して甘えることが出来るのでしょうね。ただ正直に「いやだ」「つまらない」「やりたくない」「怖いよ」「さみしいよ」と甘えて言えるんだなと思いました。ですからお母さんはただ「そうか、そうか」と言って、聞いていればいいだけなんだと言うことも、実感出来ました。子どもがダダをこねても困ってしまわなくていいのです。自分を責� ��ることもないのです。子どもはただ自分の感情をお母さんに甘えて表現したり、言いたいことを聞いてほしいだけなのですからね。

 さてその後、お母さん役の方が「お母さんはあなたにこうして欲しい」「これは止めましょう」と正しく導いてくれたので、それはそれなりに「ああ、あのまま悪い子にならなくて良かった」とホッとした気持ちにはなれました。

 でもなんだか「幼い私」は心が晴れないのです。呼んでもらった時や、手をつないでもらった時のような感動が無いのです。「どうして?どうして?」と幼い自分に聞いてみました。「もしかして叱られたかった?」「……」言葉はないけれど、何だかうなずく幼い私がいるようです。「そんなぁ!いやでしょう」「だめじゃないの!」と言う大人の私もいます。 でも「そうかもしれない」という気持ちもあります。8人兄弟の末っ子の私は、かわいいというだけでなく、忙しさのあまりかまってもらえなかった、叱っている暇なんか無い暮らしの中にいました。「せめて叱ってでも私を見て!」と言っているのかも知れません。次回、チャンスがあったら「叱って欲しかった?」という「分かれ道ワーク」をやってみたいと楽しみにしています。

 子育て中の皆さんも、そんな体験ができると、もっと気楽に子どもとつきあえるのではないか、そして幼い頃満たせなかった思いも、満たすことが出来るように思います。



2005年が明けました

 明けましておめでとうございます。皆さんはどんな新年をお迎えでしようか。

 最近の新聞に、絵本屋の落合恵子さんが、「さいごには だれもが 死ぬ」という表題で、『せかいのひとびと』という本を紹介していました。作者の言葉を紹介しながら、ご自身の感想を次のように書いていました。
「世界にはいろいろなひとがいていろいろな価値観があり、それに優劣をつけることは出来ない」

・・・・そう、「いろいろ」がいい。「ひとつ」じゃなくて、「いろいろ」が。どれが先でもどれが後でもなく、共に在る社会。

「人間は身分とか 地位とか かい級なんていうおかしな しくみを つくってきた でも みんな同じ地球で くらしている� ��だし 同じ空気を すって 同じ太陽に てらされているんだ。そして さいごには だれもが 死ぬ」

・・・・「さいごにはだれもが死ぬ」、この当たり前のことを実感しているか否かによって、たぶん人生の景色はまるで違ってくるはず。

 昨年は多くの命が安易に奪われる事件が続きました。そして私は生まれ出た命と終末の命に出会いました。  

 去年の今頃大坂から、88才にならんとする母が来ました。すぐに一ヶ月の入院生活、小さくなって弱々しい母を見て、後どれくらい生きられるんだろうと 正直思いました。そして介護が始まりました。

 主人や嫁達のサポ−トを得て何とか一年を乗り切りましたが、その半ばを過ぎたころ少々煮詰まっていた私に、主人が「良い映画をやっているから行こ� ��」と誘ってくれました。『らくだの涙』と言うモンゴルの大自然に生きる遊牧民一家が子育てできない母らくだの心を癒すドキュメンタリ−映画でした。

 ポスタ−をみると「泣いたらやさしくなれた」と書いたキャッチフレ−ズと可愛いらくだの写真がありました。内容は難産で出産したらくだのお母さんが、「育児拒否」をするのですが、モンゴルではそんなとき、馬頭琴という楽器弾きを呼んで、家族の若いお母さんが、「ホ−ホイホ−」と大草原に響き渡るような素朴な声で、うたいながら家族全員のみまもる中で、らくだのお母さんの体を、やさしくなで続けながら、癒していくという習慣があるのだそうです。

 らくだの大きな目に湖のように涙が溢れ出るのを見て、私の目にも溢れるものがありました。それから 何日かして、様々な介護が必要になってきた母に、施設の利用もせざるを得なくなって、その話をするとまだまだ自分でやれると思っている母は、強い口調で「嫌だなあ」と言います。そして「そんなにまでして生きていてもしょうがない」と悲しくなることを言うのです。今の状況を母に理解してもらうのにはと、言葉を探している内に涙が出てきて「ごめんね、ごめんね」としか言えませんでした。母の背中をさすりながら抱くようにして。母の泣く声を聞いたのは、その時が初めてでした。「いいんだよ、いいんだよ。悪いね−、世話をかけて」と言いながら。強い母でした。「何でも自分でやる癖がついている」と口癖のように言います。

 そんな母もなんだか「泣いたらやさしくなれた」ようです。今は骨折をして、リハビ リ病院に入院していますが、3才のひ孫に「おばあちゃん頑張って」と言われ、会うのを楽しみにずいぶん心は元気になってきたようで、一安心しています。

 昨年は、なんとかけがえのない多くの命が奪われてしまったことでしょう。和く輪く舎に集う皆さんと共に、少しでも気持ちの良い日が送れますように、そしてそれが、世の中の全てのひとびとに 伝染しますようにと、祈ります。



みんな役に立ちたいんだよね

 夏に抱っこ法の研修会があり、九州まで行ってきました。その時大阪の援助者であるSさんから、「ゆらゆら体操」を親子でやっているという発表を映像とお話し、それから実技を通して教えてもらいました。Sさんの所に通ってくる人たちが映像ででてきました。初めはまず自分たちがお母さんにやってもらうことから体験していったそうです。でも最近はお母さんにやってあげるようになり、役割を交代することでのメリットがたくさんあるということでした。「ゆらゆら体操」とは1人は床に寝てもう1人が足をごろごろ揺らしたり、腕をぶらぶら揺らすことで受けている人がリラックスしていきます。

 交代してお母さ んにやってあげている男の子の満足そうな姿に、「これだ!!!これだ!!」と思いました。そして相談に来ている何人かの顔が思い出されました。私の中にずっとどうしたらいいだろうと思ってきたことがあったのです。それは小さいときから相談にきて泣いたり笑ったりしてきた子たちが、思春期を迎えて、「自分はやってもらうだけで何もかも中途半端だ」と思って、苛立ちとあきらめのような何とも言えない感じが、彼らから伝わってきていたのです。人の役、もっと突き詰めると、今まで大事にしてきてくれたお母さんに、なんにもしてあげられない不甲斐なさみたいなものが、早い人は小3ぐらいから沸々と沸いてきて苛立ちとなって暴走してみたり、怒ってみたり、自分を傷つけたり、八つ当たりしている姿が痛々しく見え� ��いました。どんなに「そのままの君でいいんだ」と慰めても、埋められない空虚さがきっと彼らにあったのでしょう。

 それはそうですよね。生きていく上で役割って大きな生きる糧になりますよね。大きな視点に立てば"そのままでいいんだ。そこにいるだけで障害のあるその人生を歩み続けるだけで、周りの人にたくさんのことを気づかせてくれる"のだけど、本人とすれば見える役割、直接「ありがとう」と喜んでくれる相手がいる役割がほしいものですよね。そう、私だって同じことでした。持ちつ持たれつの相互関係はとっても大事なことですよね。

 そしてここでもう1つ、「ゆらゆら体操」のいいところは、ただ揺らすだけで簡単ということ。何のテクニックもいらない。簡単ということは手伝う側も簡単だとい うこと。もしかしたら本当はテクニックがあるのかもしれないけれど、揺らしてもらうだけで相当気持ちがいいので、難しいところはこの際、ちょっと横に置いといて「やってみよう」と研修を受けた時そう思いました。

 初めてやったのはY君。小さいときからお姉ちゃんがお母さんのお手伝いを上手にやってきたので、Y君の"お母さんの役に立ちたい"という気持ちはひとしおなんです。今はだいぶ穏やかな本来の彼に戻ってきましたが、1・2年前ぐらいはどっかに行ってしまったり、外で大声で泣きわめいてお母さんが困ったり、火がついていなかったので良かったのだけど、ストーブをわざと倒したりと、急にこんな風に困らせることばかりし始めた彼にとまどい、お母さんが一緒に生活できないかもとまで思い詰めた時期もありました。

 今回はひと泣きした後、お母さんに「ゆらゆら体操」をする前、ほんのちょっと本人に「こんな風にやるんだよ」と私が彼の足を揺らして見ました。そしてお母さんに横になってもらい、足のゆ� �ゆらをやってもらいました。その時のY君のうれしそうな顔といったら、それはそれは輝くような顔で、本当に印象的でした。私は後ろで彼を支えていたので、横からの顔しかわからなかったのですが、にこにこと周りで見ていたおとなの顔やお母さんの顔を見渡しながら、本当にきらきらと目が輝いていました。後ろ姿はすくっと立って誇らしそうでした。お母さんも気持ちよさそうにして、お互いいい感じでした。Y君はどんな思いを伝えていたのでしょうか。いっぱい泣いたときとはまた違う"凛とした"感じかな。とてもいい感じの後ろ姿で親子は帰っていきました。

 それから次にやってみたのがT君。学習会に参加しているときも、1年ぐらい前から積極的になってきた彼、それまでは自分がピアノを弾く番でもおずお� �と、「ほらT君の番だよ」と言われて真ん中に出てくる感じでした。それが「ぼくがやる」と自分から真ん中に出てくるようになって、「T君変わったよね」と喜んでいました。そして今年、4月になって担任が変わり、その先生との出会ったことで、"T君は車いすがとってもうまく操縦できる"ということを周りの人たちにわかってもらい、ご機嫌な彼。障害物があるとぱっと止まったり、くるっとUターンもお手のもの。そんな今までと違う彼の姿をお母さんも楽しそうに話してくれます。が、そうは言ってもうまくご飯を飲み込めなかったり、車いすの移動にも制限があるので、彼に対してお母さんがしてあげなくてはならないことは山のようにあります。だからきっとT君もお母さんに自分が何かをしてあげたいのではないかな と思ったので、「ゆらゆら体操」をやってみました。するとやっぱり!!うれしそうな顔でいつまでもいつまでもやっていました。この時も私はT君の後ろにいました。そしてT君の体を支えて、手の所を私の手で覆って彼の動きに付き合ってみました。するとおもしろいことに、彼の手が色々な所に揺らしながら移っていくのでした。移っていくとお母さんが「あぁそこも気持ちいいわ」といって喜んでいました。なんだか気持ちいい所に自然と手が行く感じがしてとっても不思議でした。

 その後、歌を歌ったり、ピアノを弾いたりしました。ピアノを弾く手が良く動いていたり、積極さに拍車がかかって何回もピアノを弾いていました。もうたくさんのことをやったので、今日はお母さんと字を書く練習はやめにしていいかなと 私が言うと、なんだか不満げな顔。これは行けるかも!と、私の心の中で電気がぴかっと光った。「じゃぁ手のひらで○か×を使ってやるかやらないか教えてよ」と言って「やりますか」と聞くと、お母さんの手に○としっかり書いていました。やった!!!その後のドリルの問題も今までと違って手に力が入り過ぎず、リラックスしてやっていました。

 人のために自分も何かができるんだと思うその気持ちは、その人の中にある今まで発揮し切れていなかった力を引き出すだけでなく、気負いまでもをそぎ落とすそんなパワーがあるのですね。そしてあるがままのその人を、一人の完璧な人間としてそこに存在しているそんな感じがするのだなと、その様子を見て感じました。そしてT君が最後に、「ぼくが、ぼくが、ぼくがお母� ��んにやってあげられた」と何回も筆談で書いたのがとても印象的でした。この「ぼくが」を求めている人が他にもたくさんいるんだろうなってつくづく思いました。ぜひ「ゆらゆら体操」を子どもにやってもらって下さい。気持ちいいですよ。

2012年4月27日金曜日

「コレラ広めた」ハイチで魔女狩りならぬ祭司狩り―今日の注目ニュース : 中国・新興国・海外ニュース&コラム | KINBRICKS NOW(キンブリックス・ナウ)


「コレラ広めた」ハイチで魔女狩りならぬ祭司狩り―今日の注目ニュース : 中国・新興国・海外ニュース&コラム | KINBRICKS NOW(キンブリックス・ナウ)<link type="text/css" rel="stylesheet" href="http://www.blogger.com/dyn-css/authorization.

2012年4月26日木曜日

XL`̖ɂāI𓚕ҁ^V



ԉΉƒr
[͂ȂтǁFDOSYOINO dancable music for the fireworks display]
[Ȃ񂭁FHAHEEYAHH dancable music for the MIN'YO-NAGASHI]

܂‚𐷂グSr[g_Xio[B̂Ă̂͂ǂ̂䏊EkOYB

00:ʕсEԉ΃XyV
01:rETuŖ^̎
02:Jr̉e
03:xi搶
04:k̉ԉΉ2006
05:k̉ԉΉ2006E
06:LOETu
07:rETuŖ^̎ӂ
08:ďJrӂ
09:Ut悪I
10:ŋ߂̌X
11:Ut摱
12:I
13:^f̉֎qnew!


zV\O
[傤‚񂩂񂹂񂻂񂮁Fsong for the Joetsu-Sin'Kan'Sen]

\\Z̎ӂƋCɂȂoč܂łȐlɕĂ܂
br/>05.ñ[v][
06.ȂƂȂwĂ܂c
07.ԌR[ƂVsvc
08.t]N̓Ƃ̔Ȋ֌W
09.n̊҂gɔw
10.EjmI
11.Re:06
12.Re:ALL
13.̒ł̖k̋󂩂獷̐F
14.덆e҂낱т̐
15.b́wIKx
16.15
17.ԋ
18.ԋF
19.tCOEReXg
20.̒‚ĂiԂj
21.̂Ȃ̂[΂[
22.ł͂Ȃ^
23.ł͂Ȃ^EZNn
24.Ƃ̘b
25.ZƂ̔ȈႢ
26.uׂƃMYv̂ق
27.u`z[[
28.Ֆ
29.rYNw
30.u c
31.HP
32.ׂĂ`鋳ł
33.DELϐl/DEL
34.y؍Hw
35.
36.ñIgR
37.͂Ƃ΂cc
38.Re:͂Ƃ΂cc
39.w̉_̐F
40.Re:w̉_̐F
41.񂾂
42.ɉćEEE
43.ŏIRp͂܂́H 44.g[΃R[q[phƁgze~~h
45.LJWBƋ{A
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[[邩FNAGAOKAn ghost stories]
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EsSE􂯏
Ehi_cjEqƂ̑oq
E_Ёi_ЁjEÖ؂̂l`
E֌ÊقƂ̉
E_ЁEQ̐΋
EV㏬wZE͌^renewal!


Rz[Z^[̉
[߂ف[ނ񂽁[̂Fa thema song of KOMERI H.C. ]
ӂ‚̌M̉ɕCGs̉BꂽKqbgȁBXoqg̋㕪Ђ̔]ɁuRRRRvĂBAuRRRRvÔ`݂̑ml͏ȂB

2012年4月24日火曜日

2012年01月09日のブログ|VOCALOID歌詞置き場


作詞・作曲:謝謝P

na na na na na...

手探りで探す点字ライター

触れてしまったあなたの白衣

屋上へ逃げて恋が痛む

遥かに聞く打ち上げ花火

母が叱る

あなたを好きになっちゃダメと

容易く忘れられるなら

ここで泣いたりはしていない

電車が通り過ぎる時

あなたに好きと云った

これでいい

あなたに聞こえなくていいんだ

片想いの声は震えちゃうから

点字で誘う花火大会

あなたがタイプした″なんじにあう?″

辿った指が信じられない

2012年4月23日月曜日

周南で肩・首・腰の痛みとむくみを取る施術で人気の健康サロンジークレフ  :身体の不思議


水が身体に良いという情報が良くみられます。

たとえばリンパドレナージュの施術をする際に、お水を軽く飲んでいただいてから行った方が効果が出やすいのも事実ですから、水は確かに身体に良いのです。

でも
1日にどれくらい水を飲めば良いのでしょうか?

人間の身体の60%は水

人間の体内からの水分排泄量は、静かに横たわっている成人男子で、1日2,300ミリリットルです。
もちろん体を動かした時や暑いと時などはそれ以上の水分が排出されます。
排出される水分の内訳はおよそ次のようです。

尿:1,200ミリリットル
糞尿:200ミリリットル
不感蒸泄:900ミリリットル

2012年4月21日土曜日

背中のコリ・痛みをとるストレッチ - テニスの虫 日記


背中のコリ・痛みをとるストレッチ

無駄に長い動画ですが、
効果はバツグンでした。

2ヶ月ほど試しましたよ

<embed src="http://www.youtube.com/v/kkI6bf7p_Ag&hl=ja_JP&fs=1&" width="425" height="344" pluginspage="http://www.

2012年4月19日木曜日

Alibaba Manufacturer Directory - Suppliers, Manufacturers, Exporters & Importers


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2012年4月16日月曜日

幸福の王子


幸福の王子

オスカー・ワイルド作
結城浩訳

町の上に高く柱がそびえ、その上に幸福の王子の像が立っていました。 王子の像は全体を薄い純金で覆われ、 目は二つの輝くサファイアで、 王子の剣のつかには大きな赤いルビーが光っていました。

王子は皆の自慢でした。 「風見鶏と同じくらいに美しい」と、 芸術的なセンスがあるという評判を得たがっている一人の市会議員が言いました。 「もっとも風見鶏ほど便利じゃないがね」と付け加えて言いました。 これは夢想家だと思われないように、と心配したからです。 実際には彼は夢想家なんかじゃなかったのですが。

「どうしてあの幸福の王子みたいにちゃんとできないの」 月が欲しいと泣いている幼い男の子に、賢明なお母さんが聞きました。 「幸福の王子は決して何かを欲しがって泣いたりしないのよ」

「この世界の中にも、本当に幸福な人がいる、というのはうれしいことだ」 失望した男が、この素晴らしい像を見つめてつぶやきました。

「天使のようだね」と、 明るい赤のマントときれいな白い袖なしドレスを来た養育院の子供たちが聖堂から出てきて言いました。

「どうしてそのようなことがわかるのかね」 と数学教師がいいました。 「天使など見たことがないのに」

「ああ、でも見たことはありますよ。夢の中で」 と子供たちは答えました。 すると数学教師は眉をひそめてとても厳しい顔つきをしました。 というのは彼は子供たちが夢を見ることはよろしくないと考えていたからです。

ある晩、その町に小さなツバメが飛んできました。 友達らはすでに六週間前にエジプトに出発していましたが、 そのツバメは残っていました。 彼は最高にきれいな葦に恋をしていたからです。 ツバメが彼女に出会ったのは春のはじめ、 大きくて黄色い蛾を追って川の下流へ向かって飛んでいたときでした。 葦のすらっとした腰があまりにも魅力的だったので、 ツバメは立ち止まって彼女に話しかけたのです。

「君を好きになってもいいかい」とツバメは言いました。 ツバメは単刀直入に話すのが好きでした。 葦は深くうなずきました。 そこでツバメは、翼で水に触れながら彼女の周りをぐるぐると回り、 銀色のさざなみを立てました。 これはツバメからのラブコールで、それは夏中続きました。

「彼女はおかしな恋人だね」と他のツバメたちがぺちゃぺちゃ言いました。 「財産はないくせに、親戚は多すぎるときてる」 実際、その川は葦でいっぱいだったのです。 やがて、秋が来るとそのツバメたちもみんな飛んでいってしまいました。

みんなが行ってしまうと、ツバメはさびしくなり、自分の恋人にも飽き始めました。 「彼女は何も話してくれないしな」ツバメは言いました。 「それに浮気っぽいんじゃないかと思うんだ。 だって彼女はいつも風といちゃついてるんだから」 確かに、風が吹くといつも、葦は最高に優美なおじぎをするのでした。 「彼女は家庭的なのは認めるけれど」とツバメは続けました。 「でも、僕は旅をするのが好きなんだから、僕の妻たるものも、 旅をするのが好きでなくっちゃ」

とうとうツバメは「僕と一緒に行ってくれないか」と彼女に言いました。 でも葦は首を横に振りました。 彼女は自分の家にとても愛着があったのです。

「君は僕のことをもてあそんでいたんだな」とツバメは叫びました。 「僕はピラミッドに出発するよ。じゃあね」ツバメは飛び去りました。

一日中ツバメは飛び、夜になって町に着きました。 「どこに泊まったらいいかな」とツバメは言いました。 「泊まれるようなところがあればいいんだけれど」

それからツバメは高い柱の上の像を見ました。

「あそこに泊まることにしよう」と声をあげました。 「あれはいい場所だ、新鮮な空気もたくさん吸えるし」 そしてツバメは幸福の王子の両足のちょうど間に止まりました。

「黄金のベッドルームだ」ツバメはあたりを見まわしながらそっと一人で言い、 眠ろうとしました。 ところが、頭を翼の中に入れようとしたとたん、 大きな水の粒がツバメの上に落ちてきました。 「何て不思議なんだ!」とツバメは大きな声をあげました。 「空には雲一つなく、星はとてもくっきりと輝いているというのに、雨が降っているなんて。 北ヨーロッパの天候はまったくひどいもんだね。 あの葦は雨が好きだったが、それは単なる自己中心だったし」

すると、もう一滴落ちてきました。

2012年4月14日土曜日

ジョジョ名場面50選




●ミニ・コラムその14〜6部DIOはフレンドリーディオは悪党だけど、6部から読み始めた人は彼のフレンドリーさに好感を持つかもしれない!
6部に初登場した時(69巻)のDIOの一コマ目。僕は驚倒した。あの孤高なDIOが、チョ〜親しげにプッチの膝へ自分の足を乗せているではないかッ!2人の出会いはこの1年前に遡る。
1987年、プッチが15歳の時のこと。太陽光を避ける為に教会の地下納骨堂に隠れていたDIOは、神学生のプッチに見つかってしまう。「おい、ここは日曜日以外は一般の立ち入りは禁止になっているんだぞ」「太陽の光にアレルギーの体質なんだ。日没まで家に帰れないので休んでいた」「…なるほど。それに対し何か僕に出来る事は?」「別に」「気の毒だね。神父様には黙っててやるから日が沈んだら出てってくれ」「フ、面白いヤツだな。私はここの美術品を盗もうとしている泥棒かも。それとも"居ていい"と言っときながら、実は通報するつもりだとか?」「そうして欲しいのかい?…太陽アレルギーなんてウソは泥棒はつかないだろう。きっと本当だからここにいるんだと思う。通報なんかするものか」。
DIOは御礼にプッチの生まれつき曲がっていた右足の指を真っ直ぐにしてあげた。そして"出会い"を求めて旅をしていたDIOは、プッチに対して本能で「引力」を感じ、大切な"スタンドの矢"をプレゼントする。この翌年に妹ペルラの悲劇が起き、プッチは矢の力でスタンドが覚醒した。

記憶やスタンドをDISC化できるホワイトスネイクの能力を知ったDIOは、プッチに問いかける「君はなぜ私を裏切らない?君は私の弱点が太陽の光で、昼…暗闇で眠るのを知っている。私の寝首をとればいいだろう…。私の『ザ・ワールド』をDISCにして奪えば君は王になれる。やれよ」「そんなことは考えた事もない…僕は自分を成長させてくれる人間が好きだ。君は王の中の王だ。君がどこへ行き着くのか?僕はそれにつ いて行きたい。神を愛するように君のことを愛している」。DIOはプッチの手を掴んで自分の頭に差し込んだ--さあ、DISC化しろと言わんばかりに。ズブズブズブ。プッチは沈黙し、DIOは謝罪した。「すまない…君を侮辱してしまったか…。思ってもみなかったのだ。話をしてると心が落ち着く人間がいるなんて…君がいなくなるのが怖かったのだ…」。指を抜いたDIOは自分の骨の一部をプッチの手の中に入れた「それを受け取ってくれ…謝罪の印だ。今私の体から抜き取った。君にパワーを与えるだろう」。翌年DIOはエジプトで殺害されたが、彼が残した骨は22年後に"とてつもない事"を宇宙に起こす。

【DIOの骨をめぐる小考察】

DIOの骨はどの部分なのか?71巻91Pでは「DIOの右足の部分」と図説がある。73巻128Pの"緑色の赤ちゃんの解説"では「DIOの指の骨」になっている。僕は混乱した。しかし74巻の頭から抽出する描写で謎が解決。つまり『右足の指の骨を頭から出した』ということだ。強引に聞こえるが、これならどの解説も破綻しない。さすがDIO、人間とはやることが違うぜ(笑)。ただ、手に入れ方は70巻79Pに「親友DIOの骨…エジプトで回収した」「他の部分は塵となってもうこの世には存在しない」とあるけど、74巻でDIOが骨を取り出す場面がわざわざ描かれている。貰ったことを「回収」と表現しないだろうし、70巻の言葉はプッチの記憶違いなのだろう。20年以上経ってるしね。(*^v^*)


●第74巻〜超くつろぎまくりのDIO「なぁ…知ってたか?プッチ」

「なぁ…知ってたか?プッチ。パリのルーブル美術館の平均入場者数は
1日で4万人だそうだ。この間、マイケル・ジャクソンのライブをTVで観たが、
あれは毎日じゃあない。ルーブルは何十年にもわたって毎日だ…。開館は
1793年。毎日4万人もの人間がモナリザとミロのビーナスに引きつけられ、
この2つは必ず観て帰っていくというわけだ。スゴイと思わないか?」
「スゴイというのは数字の話か?」
「そうではない…すぐれた画家や彫刻家は自分の『魂』を目に見える形に
できるという所だな。まるで時空を越えた『スタンド』だ…
「興味深い話だな…レオナルド・ダ・ヴィンチがスタンド使い かい?」

この会話に関しては全面的にDIOを支持!!


(シーン48)第79巻 ケープ・カナベラルの死闘 (注)画像は右→左読み

プッチの最終目的地、それはフロリダ州東部の大西洋に面したケープ・カナベラル(NASA・ケネディ宇宙センター)。先行するプッチを車で追跡する徐倫、エルメェス、アナスイ、エンポリオ(母をプッチに殺された少年)は、目を疑うような異常事態に遭遇する。前方から人や乗用車が"水平に落下"してくるのだ!エルメェスは前輪が浮き始めていることを感知。「みんな車の外に出ろォオーッ!!地面の外の何かに掴まるんだッ!わからないのかッ!車が後ろにひっくり返るぞッ!!」。
車体が落下する直前にアナスイが地面にダイバーダウンで潜行し、彼の体に徐倫が、徐倫にエンポリ� �が掴まった。しかし、エルメェスは石柱が直撃し、車ごと転落していった…!徐倫は叫ぶ「エルメェェェースッ!」。前方からは、さらに大型観光バスや樹木までが落下してくる。頭上をかすめていく車にエンポリオは肝を潰す「水平に落ちるなんて考えられないィィィーッ!地面があるから『重力』なんじゃあないのか!?」。3人は何とかガードレールにしがみ付き、前方の宇宙センターの入口"ビジター・センター"に向かって"登って"いく。

ビジター・センターのチケット売り場まで登って来た一行を待ち受けていたのは、プッチとDIO(緑色の赤ちゃん)の融合によって誕生した新スタンド『C-MOON』。能力は"触れたものを内部から裏返す"というもの。徐倫はC-MOONの攻撃を右手で受け止めた結果、指の骨と皮が裏返って� �まう。メギョ、メギョ、バギョアァ!「み…右手があああああッ!」。しかし徐倫は果敢に左ハイキックをC-MOONの顔面にヒットさせる。バグオオオアッ!C-MOONはよろめきつつも徐倫の足を両拳でパンチ。ドグシャアア!左足が裏返る。ブゥシュウ!
バランスを失った徐倫をC-MOONがさらに襲う。バグオ!エンポリオ「うわあああ!」。バキ、バキョ。だが徐倫は慌てない「パニくるな…エンポリオ。殴られて"裏返る"っていうんなら、もう一撃、あえて打たせてさらに裏返ればいい」。メギョ、メギャア。元に戻った!
一進一退の攻防が続く中、アナスイの身を呈しての加勢もあって、徐倫はC-MOONをストーン・フリーで磔状態にし、オラオラを叩き込める位置まで接近する。
※このあたりの攻防戦は単行本を読もう。密度 が濃すぎて活字で再現出来ない!

吠えるアナスイ「やれッ!とどめを刺せッ!!徐倫ーッ!」。C-MOONは遠隔操作型。プッチは安全な場所からこの攻防を見守っていたが、C-MOONが窮地に追い込まれ姿を現す。彼は既に徐倫の背後に立っていた。「イエス様は十字架にかかる運命を背負っていた。聖母マリア様も息子を失う運命にあった。人間の幸福において『克服』しなければならないのは『運命』だ…。私とDIOにとってのそれは『ジョースターの血統』だった!」。

「オラァア!!」徐倫が振り向きざまに攻撃すると、突然彼女の体が宙に浮かんだ。「なにィイイイイーッ!か…『体』がッ!『空の方向』に!?」。「私の体が『基本』だ。私のいるこの足元で『重力』は逆転する」。空中でもがく徐倫の� ��にC-MOONの拳が叩き込まれた「ウシャアアアア!」。ドグシャァ!プッチはクルリと背を向け立ち去っていく「決着はついた!徐倫にはもう痛みや思考したりする感覚はない。裏返ったのは心臓だ…脳の血液も逆流してるだろうからな」。ズバアッ!徐倫は血を噴出しながら落下していった。



※プッチはなぜケープ・カナベラルを目指したのか。
生前のDIOは16歳のプッチにこんな話をした。「『天国へ行く方法』があるかもしれない。おい、妙な顔をするな。私の言ってる"天国"とは"精神"に関する事だよ。精神の"力"(スタンド)も進化するはずだ。本当の幸福がそこにはある。幸福とは無敵の肉体や大金を持つ事や人の頂点に立つ事では得られないというのは分かっている。真の勝利者とは"天国"を見た者の事だ…どんな犠牲を払っても私はそこへ行く」。プッチが具体的な方法を尋ねると、「一冊のノートに記録してある」。しかし、この翌年にDIOは承太郎に殺され、承太郎は発見したノートを読後に焼却。プッチはノートを見た承太郎の記憶を欲し、徐倫を餌に彼を刑務所におびき出し記憶DISCを抜き取ったのだった。

DIOがエジプトに散って22年後、プ ッチはスポーツ・マックスに命じてDIOの骨に魂を呼び戻させる。DIOはかつてスタンドを様々な角度から研究し、"ザ・ワールド"が進化した先にある世界こそ、人類が進むべき道と結論付けていた。"精神力の表れ"であるスタンドの進化には膨大な精神エネルギーが必要とされる。罪人の魂に一般人よりも強いパワーがあるとDIOは考え(罪人は他人を押しのけてでも幸福になろうとする)、ゆえに『厳正懲罰隔離房』で"緑色の赤ちゃん"としてDIOが骨から再生した時に、植物のように極悪囚人達から養分(パワー)を吸っていたのだ。
DIOのスタンド研究ノートには、太陽と月が並び引力がMAXになる新月の日に「北緯28度24分、西経80度36分」の場所でスタンドが最終進化を遂げると予測し、この時点で『天国の時』が始ま ると刻んだ。プッチには『天国の時』が何か分からなかったが、DIOの指定した北緯・西経の交差地点にはケープ・カナベラルがあった。

ここにロケット打ち上げ場があるのは偶然ではない。自転の遠心力の影響で、この地点は沖合いの海面が50mも高く、新月には海抜が100mも上昇するという。つまり同地は「地球の引力が最も弱い」場所であり、ロケットの打ち上げに地上で一番適した場所なのだ。カナベラルに到着したプッチは叫ぶ「全ての『始まり』に…『重力』があった!この大地も…!!『重力』から始まり…!『引力』ゆえこの世界は星の周りを回るッ!この地でこれから何が起こるのか…!この私の肉体と精神の中に!!」。
プッチはDIO(緑色の赤ちゃん)と融合したことで重力を操るC-MOONを手に入れた。融合後� �プッチの左肩にDIOの影響で星型のアザが出現する(双子のウェザーにもプッチに呼応してアザが現れた)。今後、C-MOONが新月の影響でどうなってしまうのかはプッチ自身にも想像がつかない。とにかく、親友DIOの研究を信じ、彼の語る『天国』の到来を待つだけだ。そして、新月は36時間後に迫っていた。
※C-MOONの名前の由来…Crescent Moon。三日月や新月の意味でこれらは未知や成長の象徴。発展段階にあるスタンドということか。
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徐倫の心臓を破壊し"ジョースター"を越えたと確信するプッチ「私が新月を前に得たものは"無敵さ"なのか?だがあくまで私の求めるものは"強さ"ではなく全ての人間が到達すべき"幸福"だという事を心に戒めておこう。そして空条徐倫は単なる犠牲者。目的達成には必ず付きもののな…試練と犠牲なのだ」。
アナスイ「うおおおお!」エンポリオ「そんなバカなぁああ!」。果たして2人でプッチを倒せるのか?トゥルルルル。その時、エンポリオのケータイがメールを受信した。『娘と神父が出会ったことは感覚で知っている。娘は生きている。だが、まったく無事というわけでもないらしい。私が行くまで徐倫を保護してくれ。おそらく娘は"重力"を封じ� �方法を見つけた。だから助かっている。空条承太郎』。
プッチも徐倫の生存を感じ、彼女が落ちた方向へ急ぐ「どういう事だ?何をしたんだ?空条徐倫!また"ジョースターの血統"が私とDIOの目的を妨げるというのかッ!?」。

焦るプッチにアナスイが攻撃を掛けたが完全に見切られていた「お前は私にとって試練の内にも入らない」。逆にC-MOONがアナスイにアッパーを決めた。バグオァッ!プッチは直感で異常に気付く「はっ!戻れッ!C-MOON!そいつはアナスイではないッ!」。それは亡くなった観光客の遺骸をダイバー・ダウンがアナスイの骨格に変えた囮(おとり)であり、自身はプッチのすぐ背後に迫っていた。「射程内に入ったッ!くらええぃー!ダイバー・ダウン!」アナスイの手刀がプッチの� ��頭部を直撃!…しなかった。プッチは自分の顔面をスタンドで内側に窪ませ攻撃をかわした。頭部が元に戻る「お前は私にとって、釈迦の手の平を飛び回る孫悟空ですらない。ウシャアアアア!」。

プッチがアナスイにラッシュを叩き込もうとした瞬間、舞い戻った徐倫がプッチを攻撃した。激しい攻防の中でC-MOONは徐倫の両腕にパンチを入れる。バギャアァァッ!プッチは吠える「一発ずつ命中ーッ!これでお前は"両腕"を失ったァアアーッ!」。メギャ、メギャ、ヒュンヒュンヒュン。なんと徐倫の腕は裏返らず、『メビウスの輪』を作っている。胸を打撃すると胸もメビウスとなって攻撃を吸収した。ヒュンヒュンヒュン。プッチの額を冷汗が流れる「裏も表もなければ裏返りはしない…裏も表もない『無限の輪』!" 糸"でなら作れる…」。ドドドドド。

2012年4月13日金曜日

結婚できない男のウソのようで本当にあった話(男性会員編) 【 失敗しない結婚相談所選び 】


結婚できない男のウソのようで本当にあった話(男性会員編)」の目次です

結婚相談所の会員の話は、もちろん、各会社のアドバイザーが一番知っていることだと思いますが、次に知っているのが、誰だと思いますか?

そう、「会員自身」です。

やっぱり、利用していると、いろんな話を見たり聞いたりするようで、結婚式の打ち合わせに来ていただいたときに、チラっと「こんな男性会員がいたんだよ〜」と教えてくれました。

ということで、私もチラッとみなさんにお話をしたいと思います。(笑)

恐怖の不潔男
気取る男
言葉のキャッチボールができない男
年齢ダメ出し男
質問大好き、根掘り葉掘り男
「消費税はもつよ」男
結婚後の希望をやたら話す男


恐怖の不潔男

結婚相談所に「結婚したいんですけど〜」って相談に来た男性会員の中で、とんでもない男性がいました。

それは、「不潔男」です。

ごく稀に、こういう人がいるのですが、汚い・臭い・黒いの3拍子そろった不潔男は、当然お相手が見つかるわけがありません!

スーツにネクタイ姿の、一見まともそうに見える男性でも、ネクタイの緩みからのぞく白いワイシャツの襟汚れと革靴を全体に多う乾いた泥汚れ・・・。

2012年4月12日木曜日

2012年4月10日火曜日

MOD/Tool - Oblivion Wiki JP 避難所


Note/MOD/Tool?
Top / MOD / Tool

2011-12-22 Thu 20:30:41 JST


初めに † ¶

 Modやセーブデータを弄る為のToolは多数リリースされています。各自の問題解決からMod開発まで、やりたい事に応じて選択してみてください。
尚、このページではゲーム外でスタンドアローンで利用するものを中心にまとめています

目次 † ¶

  • 初めに
    • 目次
  • 総合
    • Construction Set
    • Nexus Mod Manager
    • Oblivion Mod Manager
    • Wrye Bash
  • 操作
    • BSA Commander
    • BSA UNPACKER
  • セーブデータ
    • ElderFaceLift
    • EssMod
    • Face Exchange Lite
    • INCREMENTAL SAVER
  • Mod関連
    • FCOMhelper
    • Better Sorting Software - BOSS
    • Mod Conflict Detector
    • TES4Gecko
    • TES4Edit
    • TES4Files
    • BAIN Wizard Installation Project
    • BAIN Wizard Converter
    • BAIN Conversion Files (TESCOSI の BAIN作成方法を解説しているWikiより)
  • .ini操作
    • INI Tweaker
    • Tweak
  • その他
    • espexport
    • Font Generator
    • Profile Manager
    • TES4LODGen
      • 注意事項

Construction Set † ¶

  • 公式謹製の開発toolです。Mod作成からちょこっとした改造までいろいろな事ができる奥が深いものです。
  • Wiki内の解説ページ:MOD/Tool/ConstructionSet
  • 機能を拡張するOBSEプラグインConstruction Set Extenderなども。

Nexus Mod Manager † ¶

略称NMM。OblivionのMODダウンロードサイトTES NEXUSと連動しており、TES NEXUSに公開されている、各ダウンロードサイトにある、 DOWNLOAD WITH MANAGER をクリックするとこのツールが起動し、即座に、予め指定しておいてディレクトリにダウンロードが始まります。ダウンロード後は、OBMMの影響を受けて開発されたツールのためか、OBMMとほぼ同じような使い方ができます。

Skyrim、Fallout 3などにも対応しているため、起動時に、Skyrim、Oblivion、Nehrim、Fallout 3、New Vegasなどの、どのゲームのMODを管理するか問い合わせてきます。起動後に切り替えることもできます。

  • MODのダウンロードとインストールがWindows Updateのように簡単になる。ワンクリックでダウンロード、ワンクリックでインストールが売り。
  • 起動するたびに更新を確認するライブアップデート機能搭載。
  • 一度に複数のMODを一括ダウンロード、ダンロードの一時停止/再開機能を持ったダウンロードマネージャを搭載。
  • OBMMのように、複数のファイルから構成されるMODを1つのファイルにまとめることができます。
  • OBMMに対応したomodファイルを読み込める機能もあるようです。
  • 2011年11月20日現在も開発が進んでいます。
  • Wiki内の解説ページ:MOD/Tool/Nexus Mod Manager

Oblivion Mod Manager † ¶

  • Forum
  • 通称OBMM(ObMM, OBM)。MODのロード順を編集したり、複数のファイルから構成されるMODを1つのファイルにまとめることができます。
  • 1つのファイルにまとめたファイルはomodという形式のファイルになり、Activate/Deactivateすることにより、ワンクリックでMODのインストールとアンインストールができるようになるので、MODの管理が大幅に楽になります。
  • 現在も活発に開発が進んでいます。2011年11月20日現在、2008年11月で更新が停止しています。今後は、OMODファイルと互換性がある代替ツールとして、Nexus Mod Managerが役立つかもしれません。
  • 起動には.Net Framework 2.0以降が必要
  • Wiki内の解説ページ:MOD/Tool/OblivionModManager

Wrye Bash † ¶

ModとSavefileを管理するツール。非常に多くの機能があります。
特に有用な機能としては以下のものがあります。

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2012年4月9日月曜日

「トゥルーブラッド」エヴァン・レイチェル・ウッド、恥ずかしげもなくジャスティン・ビーバーの曲を熱唱! -  - ライターJULIE セレブ達のニュース&ゴシップ


人気吸血鬼海外ドラマ「トゥルーブラッド」でソフィー=アン・レクラーク役を演じているエヴァン・レイチェル・ウッドが、ジャスティン・ビーバーの「U Smile」を熱唱する動画がYouTubeに掲載され、話題となっています。

2012年4月6日金曜日

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2012年4月1日日曜日

心と体のコラム きくち体操


心と体のコラム

今の自分をあきらめないで!
体の不調を当たり前だと思わないで!
元気に、きれいになれる力を誰でも持っている。 
それを知らなかっただけ、
教えてもらわなかっただけ。

 人は、自分で生まれて、そして自分で生きていく力をつけて、成長していきます。そして今のあなたがそこにあるのです。ところが、多くの人は、自分の体を、自分で作ってきたという意識が本当に薄いのです。

 例えば、太った方が、自分が太らせたというよりは、"誰かに太らされた"という感じで、「先生、なんとかなりますか」と相談にみえます。 でも、自分が太らせたのだから、自分で元に戻す以外にないのです。 それなのに、他人に預けてしまう。 腰が痛い、ひざが痛いという方も同じです。「どうして痛くなったのだろうか…、こういうふうにしてみると痛いのが良くなっていくのではないか…。」と自分の体について目を開き、しっかり見つめて考える知恵がないわけです。でも、私たちの体は、皆さんが思っている以上に、相当のところまで、自分の力でよくしていけるようにできています。 ただそのことを知らないでいるだけなのです。ですから、体に意識をむけるということが非常に大事なの� �す。

 今日、家でお風呂に入る前に自分の体を鏡に映してごらんになってください。 『そうか、○○年かけて自分がつくってきた体はこういう体だったのか。』というふうに、しっかりと見ていただきたいのです。そして、『これから先は、ここをこういうふうに育てていきたい。』と思ってください。 こうして自分自身としっかり向き合った時から自分育てが始まるのです。

 これから先も、この体で生き抜いていくわけですから、自分の体にもっと愛情をかけてください。 そして体を動かし育て続ける作業をし続けてください。それは、自分自身を見据え、自分に立ち向かうことです。 すると当然のように精神(こころ)も育ってくるのです。そしてそれが「よりよく生きる」につながっていきます。